半径3mの教育論

〈教育雑感編〉

6051 本音教育用語集(け~こ)

けんきゅうじゅぎょう【研究授業】

年間行事計画に必ず位置づけられているものに,職員会議と校内研修がある。現在,私も研究主任を担当しているため4月当初に校内研修の年間計画をつくり提案した。その多くは研究授業である。一人1回は必ず研究授業をするような計画である。
 研究授業の後,反省会を行うのだが,そのほとんどが社交辞令的であることが多い。授業そのものに対する意見を交換するのではなく,指導案の検討で時間が過ぎていく会もあったこれでは,何のための研究授業かわからない。
 昨年度,ある中学校の研究発表会に参加した。研究テーマは「コミュニケーション力を育てる」といったものだった。しかし,休み時間の生徒様子や社会科の授業を見ても,普通だった。どこにコミュニケーション力を高める工夫や指導があったのかわからなかった。その後,研究協議の全体会が行われたが,発言内容のほとんどがほめるものだった。そこで,私は次のような質問をした。「コミュニケーション力というテーマだったので私なりにイメージを持ってきました。しかし,今日見た限りは,その姿を見ることができませんでした。もちろん私のイメージと違っているかもしれませんので,研究前と研究後,生徒のコミュニケーション力がどのように向上したかを教えてください。」
 その後,研究主任からは,明確な答えはなかったが,他の学校の教師がフォローする発言をしてその場はおさまった。私は,次の質問を用意していたのだが,やる気が失せた。批判的な意見を言えば,このようにフォローしようとする。かばおうとする。
 2年間程度の研究をすることは大変なことはわかっている。しかし,大変だからと言って,すべてをOKとするような研究協議ではその2年間の意味がなくると思う。

 

こせい【個性】

かつてこの言葉によって多くの教師が思考を停止させられていた。
 「個性の尊重」「個性の重視」などその正しさと美しさを疑う人はあまりいなかった。個性というものは,生まれつき持ち合わせているものではなく,いろいろな勉強をしたり経験をしたりしていくうちに余分なものがそぎ落とされていった結果,それでも残っているものが個性である考えている。
 ある人は「つぶされてもつぶされても,それでもなお残っているものが個性である」と言っていた。その通りであると思う。正しいと思われているものほど,実は怪しいということである。思考を停止する前に,まずは疑ってみることだ。