今日の2時間目,大学生のKくんが1年3組で道徳授業を行いました。
いろいろと考えた自作道徳授業でしたが,今一つ何を教えたいのか不明でした。
アドバイスや説明をするよりは,違いを見せたほうが早いと考え,同じ資料を使った道徳授業を次の時間に1年2組で行いました。
資料は宮澤章二さんの「行為の意味」です。
Kくんの授業を観ながら,構成を考えた臨時道徳授業でしたが,生徒たちはしっかりと考えてくれました。
その感想をいくつか紹介します。
・自分が感じたことと違う意見の人がいて,違う側の意見を聞けてよかった。「思いは見えず,思いやりは見える」本当にそうだと思った。
・やっぱり心は大切なんだと思った。私も心を使い,思いやりをちゃんと持って接していきたいと思います。
・今日の授業を受けて,心は誰も見えないけど必要だと思いました。心があったほうがみんなに優しく接し,良い思いやりができると思いました。
・思いは見えないが結果は見える。思いを形にしなければ意味がないと思った。
・結果だけではなく,心づかいもやはり大切だなとあらためて思いました。席をゆずる心がないと,ゆずってもらったうれしさもないので,とても無意味に近い行動だなと思いました。
・思いやり,心遣い,ただ行為を行うだけでない。その裏にどんな思いがあって行っているのか「思い」がなければ,その行動に移せない,そして優しさでない反対の思いがあって行う行為は果たして本当に相手は幸せなの思いになるのか?思いやり,心遣いと呼べるのかな?と少し考えました。私は見えないからこそ思い(心)なのかと感じました。
・今日の授業は,「心」はいらないという人。「心」はいるという人。それぞれいましたが,心がないと行動はできないと思います。優しいことをしようと思えば,想っているだけじゃ相手には伝わらない。想いを短くしても言葉にしないといけないと思ったので頑張りたいです。
・先生が最後に配った詩を見て,あらためて自分の心はどんななんだろうと思いました。私は心は必要だと思います。もしなかったとしたら,やろうと思う手伝おうと思う気持ちが行為が生まれないと思います。これからも心と思いをもって人と接していきたいと思います。
Kくんは自分の授業と私の授業の違いがわかったでしょうか。
どうすればいいのかわかったのでしょうか。
それが分からないと私が授業をやった意味がありません。
授業参観をするということは,自分の授業とに違いに気づき,どうすればいいのかを考えるということです。