半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5182 平和を扱った道徳授業の難しさ

平和の尊さを主題とした道徳授業でこんな発問を見かけます。
「平和にために何ができますか」
「平和のために必要なことは何だと思いますか」
このような発問に対して,生徒はどんな意見を書き,発表するでしょうか。
深く考えた意見がでるとは思いません。
 だからこそ,平和を扱った道徳授業をつくることは難しいと思うのです。
2013年8月3日に長崎大学で開催されたシンポジウムに参加し,平和に関する道徳授業の実践例を紹介しました。そのことを書いたブログ記事を再掲します。
〈引用始まり〉
長崎大学での平和に関するシンポジウムが無事終わりました。
正式なタイトルは「日本の進路を考える 平和責任〜被害,加害責任,そして記憶の文化〜」でした。
タイトルからもわかる通り,中々に重い話が多かったです。
中心は,2人のシンポジストによる話です。
1つは,毎日新聞社の記者である福岡賢正さんが,戦争体験者(加害者)の取材を通して考えたことの発表でした。
2つは,ドイツの日本人国際学校の岡裕人さんが,ドイツがどうやって戦争加害と向き合うようになったのかを経年的に説明しました。
この2人以外にも,特定質問者として私を含めて6名が発表しました。
この発表ではいくつもの視点から,戦争や平和についてとらえることの大切さを学びました。
例えば,沖縄からの視点。例えば,中国の教科書からの視点。例えば,被爆者からの視点などです。
その中の1つとして,私が道徳授業からの視点を発表しました。
私の主張したことは,以下の通りです。
今までずっと行われてきた平和学習や平和集会などは,戦争を体験していない生徒にその事実を知らせるという点では,とても意義はある。
しかし,生徒の実態を観察した時に,学習を通して心にひっかっかるものが残った生徒は少ないのではないか。
つまり,平和に対する学びの意欲が高まった生徒が少ないように肌で感じてきた。
平和や戦争などについて,心のひっかかりがある生徒は自ら,平和について学ぼうとする。
このひっかっかりを作るために,自作道徳授業を実践してきた。
わずか10分程度の授業報告でしたが,終わると同時に会場から拍手がおこりました。
素直にうれしかったと同時にほんの少しですが,手応えを感じました。
今回も新しい人との出会いがありました。
70名を超える参加者でしたが,みなさん,学ぼうという姿勢が感じられる人々で,そういった空気の中で発表できたことが,私にとってもよい経験になりました。
現場の教師も,こういった会に意欲的に参加することが,大きな修養となるはずです。
〈引用終わり〉
今考えると,すごい場所ですごい人たちを相手によく発表できたなと思います。
しかし,この時感じていた平和を扱った道徳授業の難しさは,今も変わりません。