昨日の道徳授業を参観して考えたことをまとめます。
題材は,星野富弘さんでした。
①星野さんが口で文字を書いたことを生徒に直接体験させた。
→これは,星野さんの苦労を体験させるためにはいい指導でした。しかし,結果的に口で書いた生徒は3名だけでした。他の生徒は「汚い」と言って利き手ではない手で書いていました。(そういう指示を授業者が出したからです)
この指導に疑問が残りました。星野さんの苦労を体験させるのであれば,「汚い」と言っても,大切な体験だからしなさいという指示を出すべきだったと思います。または,最初に教師がやって見せてもよかったとも思います。
また,「どうして汚いか」を問うてもよかったと思います。君たちが汚いと感じたことを星野さんはやって,このような花の絵を描いたと言えばいいのです。
②主発問「星野さんがくじけずに努力ができたのは,どうしてでしょうか」
→この答えを考えるためには,星野さんについての情報が不足していました。教材研究の前に素材研究を深めておく必要があるのです。そういった情報を元にして自分なりの答えを持ち,発問をつくるのです。それがないと,授業全体がブレてしまう可能性がでてきます。
③発問やキーワードを短冊にして黒板に貼っていきました。
→発問を短冊に書いて黒板に貼るのはいいとしても,生徒の意見をまとめるときに,あらかじめ用意したキーワードを短冊にして貼っていくのはいただけません。生徒がいろいろ考えたことを無理やりまとめようとする姿が見えてしまうからです。生徒から見れば,あまり面白くないと思います。
④星野さんの人生と生徒たちを無理やり結びつけるような発問はしなくてもいいと思います。50分間に生徒に与えられる星野さんの情報は限界があります。ですから,
「星野さんの気持ちを考えてみましょう」とか「あなたが星野さんだったら,どうしますか」などの発問をしても,きっと想像もできないでしょう。
星野さんと生徒の人生があまりにもかけ離れているからです。
出たとしても,予想されるようなきれいごと的な意見です。
→そうであれば,無理やり生徒の生活と重ね合わせるような授業をするのではなく,こういった素晴らしい生き方をしている人がいることを知らせ,星野さんが描いた花の絵や詩に心動くような感性を磨くような授業にしたほうがいいと思います。
⑤全体的には,授業者はとても落ち着いて,生徒をうまく指導していました。交流会の時に,授業者といろいろと話す時間がありましたが,とても誠実で授業に対する熱量を感じる青年教師でした。今後がとても楽しみです。