半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3471 道徳教育アーカイブセンター

今朝の読売新聞の1面に次の記事が掲載されていました。

道徳授業 紹介サイト 
文科省 小中での教科科前に開設 
いじめ問題などテーマ


授業の様子を動画にしたものもあるそうです。
記事の最後には,こんな文がありました。

〈引用始まり〉
「読み物の登場人物の心情を考えることに偏りがちだった授業内容を見直し,現実問題を想定して「あなたならどうするか」を問う実践型への転換を目指している」
〈引用終わり〉

確かに,従来の道徳授業では,心情を問うことが多かったようです。道徳は心の問題ですから,心情を考えるという発想が出てきたと思います。

しかし,生徒は心情を答えるのですから,気持ちを表す言葉を選ぶことになります。
では,生徒は気持ちを表す言葉をどれぐらい知っているのでしょうか。
「悲しい」「うれしい」「くやしい」「楽しい」「腹立たしい」などでしょうか。
大人でも,なかなか出てきません。
子供ならなおさらのことでしょう。
そんな発問をして,深く考えることができるわけがありません。

その対策として,「自分ならどうしますか」という発問を提示していますが,果たして,その発問は優れているのでしょうか。

主人公と自分を重ね合わせることができる生徒や生徒の体験と重なる部分がある資料ならば,考えるでしょう。

しかし,そうではない場合は,生徒は思考を拒否するのではないのでしょうか。
つまり,自分は主人公ではないから,わかりませんと言うことになるのです。



心情を問う,自分ならどうするかと問うなど,発問を固定化するのではなく,資料に応じて生徒の思考を刺激する発問を作らなければ,生徒の本音は引き出せないと思うのです。


アーカイブセンターの資料を参考にする教師が多くなると予想されますが,道徳授業は,教師の目の前の生徒に対して行うものです。
センターに保存されている資料や指導の流れをそのまま授業で行っても,結局うまくいかないことになると思います。