半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2165 一斉授業の復権

今から,10年ほど前に久保齋(いつき)先生の講座を大分まで聴きに行ったことがあります。もちろん日帰りです。大分に着くと,土砂降りでした。
しかし,とても有意義な講座で多くの刺激と学びをいただきました。

久保先生を知ったのは,「一斉授業の復権」(子どもの未来社)です。
この本の中で,久保先生は次のように書かれています。
〈引用始まり〉
「必ず努力した成果が得られる取り組みを教師が準備し,子どもたちを鍛えるところ,それが学校というところです。」
「教師は,つねに自分の権威のレベルに敏感でなければなりません。これは自分のためではなく,クラスがうまく機能し,より高度な一斉授業が行われることを保障するための努力です。学級ががさがさし,指導困難に陥れば,子どもたちの学習が保障されなくなるからです。自分の権威を高め,安定的に学級が機能するように,私はつぎのように子どもたちにいっています。「授業時間は先生がしきります。授業時間は先生の指示に従いなさい。遊び時間や放課後は君たちの時間です。自由にどうぞ」
「発問」「板書」「ノート指導」,これは一斉授業の三種の神器です。どれが欠けても十分な授業をつくることは困難です。」
〈引用終わり〉

野口芳宏先生とつながる部分があります。授業の主体は教師であり,教師の権威を高めることが大切であることや授業で子供を鍛えるという視点です。

一斉授業が古くさい前近代的な授業形式だと発言する人がいます。
これを真に受けて,一斉授業の技も十分に身につけていない教師が流行の指導法に走ってしまうことがあります。
これはとても危険なことだと思います。
こんなことから,野中信行先生が提唱されている「みそ汁・ご飯の授業」に注目しています。
近々,野中先生の著作が世に出るそうですから,学んでいこうと思っています。