半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5601 「らんまん」から学んだこと

昨日,最終回を迎えたNHKの朝ドラ「らんまん」について考えたことです。

最終回では,万太郎の最愛の妻である寿恵子さんが亡くなる場面を予想していました。

しかし,その予想は外れました。

事実と違ったものとなりましたが,これはあくまでもドラマですから,こんな素敵な最終回にしてくれたことがただただうれしかったです。

寿恵子さんの臨終場面はどうしても観たくなかったからです。

このことについて,チーフ演出を務めた渡邊良雄氏が,こう言っていました。

 

スポニチアネックス9月29日より引用)

〇「万太郎の母・ヒサ(広末涼子)、祖母・タキ(松坂慶子)が亡くなった時も、死に際の描写をしませんでした。僕らはそういう描写をしないと心に決めてこの作品を作って来たのです。誰かが亡くなるというのは悲しいことですが、そうすることで少なからず希望のようなものを感じていただけるのではないでしょうか。このドラマのテーマの一つは『継承』です。思いや情熱をつないでいくこともそうなのですが、人の死もただそれだけではなく残された人につながれていくということを描きたいと思って来ました」

 

この中の「そういう描写をしないと決めてこの作品を作ってきたのです」という言葉が印象に残りました。

ドラマは,基本的に視聴者を何とか感動させたいと考えてるつくるものです。そのために,大切な人が死んでいく場面を見せることが多いのです。

しかし,この「らんまん」は,安易に臨終場面を描くのではなく,大切な人の「死」が周りの人たちの「生」へつなっがっていることを大切にしたのだと思います。

 

これは,道徳授業づくりと同じだと考えています。

生命尊重を主題とした道徳授業では,ほとんどの教師が「死」を扱います。

本市で毎年行われている「いのちを見つめる強調月間」で,保護者に公開される道徳授業のほとんどが「死」を扱っているのです。

もちろん,道徳授業で「死」を扱う必要はあります。

しかし,安易に「死」を扱っているのではないかと思うのです。

生きることの素晴らしさや命の尊さを教えるのであれば,「死」を扱うのではなく,「らんまん」のように大切な人の「死」を受け継いで,精一杯生きることの大切さを生徒に教えたいと思います。

普段テレビを観ない私が,半年間見続けた理由は,こんなところにあるのです。