半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2358 セミナー感想

先日のセミナーで私が担当した講座の感想が送られてきましたので,紹介します。
わずか30分の講座でしたが,このような感想を書いてもらったことに只々感謝です。


第2講座「道徳授業で死を扱うこと」

●命を扱う授業はいつも難しく避けてしまう時もありました。今回この講義を受けて死の方ばからではなく「生」を伝えていかなくてはいけないなと学びました。3月11日の授業は実際に自分自身が受け持つ学級で実践してみたいと思います。

●道徳の授業で「死」をテーマにした教材を使うのにとても抵抗があったが、おもいきってチャレンジしようと思った。

●「死」を扱うことに対して、先生の「数値やデータで計るものでない」「亡くなった方の気持ちを考えると、簡単に扱えるものでない」という意見はもっともだと思います。私はこれまで資料の1つとして簡単に取り入れていた時もあり、考えさせられました。改めてハッピーバースデー3.11の授業を見させていただくと、前回よりも心に迫るものがありました。生きる希望や優樹を与えることができる授業づくりを目指していきたいなと思いました。

●荒れた手の生徒のお話は、第1講座で感じたこととつながった。Happy Bruthday 2011はとっておき小学校に優先されると思いますが、流れも中学生にぴったりでよかったです!

●「生」への考え方、「死」を扱った授業について、改めて考えることができた。たしかに「死」を扱った資料、授業においては、慎重に行わなければと思った。あと、震災の資料を通して、ぜひ、今度3年に進級する生徒に「生」を楽しむことを伝えたいと思った。ありがとうございました。

●資料を探す際には、教師自身が視野を広げ、こだわりを持って授業づくりをしていかなければならないと思った。

●命の大切さを教えるために、私も死をあつかう内容がどちらかというと多いように思います。できれば前向きな「生」をあつかう方が良いのかもしれないと思いました。

●何度か震災の資料を作り授業をしましたが、「死」だけの情報で「生」に関しての情報を自分自身がしりませんでした。そこから「生まれた」「希望」「未来」など、前を向いた資料に作り替えて、再度授業をしてみたいと思います。

●「死」を扱うことは自分もある時から疑問に思っていました。どこか「死」が美化されているような気がして「それはいいのか?」と…。先生のお話を聞いて、スッキリしました。「生命尊重」なら、やはり「生きる」ことのすばらしさを伝えたいです。生きづらい世の中だと思いますのでなおさら、そうだと思いました。

●陽生君の両親の言葉「生きるとはかけがえのないこと」が心に残りました。死を扱うことより生から考える道徳授業の実践のよい手本になると思いました。子どもたちには、生きるということがいかに大切でかけがえのないものであるのか、気づきを与える授業だったと思います。

●「死」について安易に扱ってはいけないということが分かりました。それが生徒たちにも伝わるのではと思いました。そのように思うと指導案を作成する教員の考えから大切になってくるのだと感じました。すごく学びになりました。

●「生を見つめる」という発想の転換(?)は、できそうでできないことだと思います。まさに「意識して」臨まなければ、安易に「死」の方向で生命尊重となってしまう…そうならないように、私も慎重に考えていきたいです。私もなかなか「死」を扱うことができないでいます。特に震災なんて、とてもとても…。私ごときに扱えるシロモノではないです。

●自分は「ハッピーバースデー3.11」の授業を見せていただいた時に、自分なら「反対」と答えると思っていました。それは、失われたものを持つ人たちのことを考えると、経験をしていない自分が安易にそれだけではないと言えないと「だけではない」ものがあると想いながらも考えました。尊いテーマであるからこそ、簡単にとびついてはいけないと感じました。

●“生命尊重”の授業で、「生」と「死」、それぞれを取り扱ったことがあるが、資料によっては授業後、後悔したものもあった。「“死の裏返し”としての“生”」、「“困難の中でも新しく生まれ、たくましく生きる“生”」改めて見つめ直してみたいと思った。