半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

4554 学びの礼儀を考える

佐世保市では6月を「いのちを見つめる強調月間」として,各小中学校でいろいろな取り組みをしています。その中の1つに,いのちの大切さに関わる道徳授業公開があります。
ということで,この時期になると道徳授業教材を欲しいと言う連絡が数件あります。今年度も,3つの道徳授業の教材を提供しました。
私が道徳授業を提供する時に次の3つの条件を提示しています。
①私の教材をそのまま実践せずに,生徒の実態に合わせて変えること。
①必ず授業後に,生徒の感想や授業者の意見を私に知らせること。
②他者へコピーして譲渡しないこと。
です。
「とっておきの道徳授業」(日本標準)に掲載されている道徳授業であれば,いくらでも使用してもいいと思います。
しかし,基本的に自作の道徳授業教材は,相当な時間をかけて創り実践したものです。それを簡単に手に入れ,さも自分が作ったような感じで授業をする教師がいるのです。
そういった理由で,3つの条件を出しているのです。
心が狭い教師と言われそうですが,それが礼儀です。
私が創った道徳授業をきっかけにして,学びが深まるかもしれません。また,つながりが広がるかもしれません。それも叶いません。
また,明らかに「とっておきの道徳授業」から引用してたり,参考にしているにも関わらず,指導案に明記しない教師もいます。
これも礼儀に反します。
道徳授業をやる教師であれば,学びの礼儀はきちんと示すべきだと思うのです。
みなさんは,どんな考えを持っていますか?