このブログやフェイスブックに,俳句を載せるようになりました。
基本的には,3人の俳句です。
一人は,正岡子規
二人は,種田山頭火(たねださんとうか)
三人は,尾崎放哉(ほうさい)
正岡子規については,深く書く必要もないでしょう。
自由律俳句というのは,5・7・5のリズムにとらわれることなく,句をつくるやりかたです。
大学生の頃,吉村昭さんの「海も暮れきる」で,尾崎放哉の句と出会いました。
「足のうら洗えば白くなる」
「墓のうらにまわる」
「咳をしてもひとり」など,どうしようもないほど暗い句が多いです。
しかし,その暗く寂しい句に放哉の「生きること」の意味を感じました。
放哉を知ったことにより,自由律俳句を知り,山頭火を知りました。
山頭火は,全国を歩きながら句を作った漂泊の俳人と言われます。
放哉に比べて,明るい空気が伝わります。
「分け入っても分け入っても青い山」
「もりもりもりあがる入道雲を歩く」
「今日の道たんぽぽ咲いた」
なかなかいい句が多いのです。
社会に適応できずに自由律俳句をつくった放哉と山頭火。
彼らの切なく悲しい句に惹かれるのです。
「放哉と山頭火~死を生きる~」(渡辺利夫 ちくま文庫)はおすすめです。