近年,叱る教師が少なくなったと思います。
私が若い時は,職員会議はもちろんですが,いろいろな場面で叱られました。
感情的に怒鳴るのではなく,きちんと考えて叱るのです。
叱られた時は,反発心も起こるのですが,時間がたつと自分の未熟な部分をきちんと見ていてくれたという気持ちになりました。
悪いところは,ビシッと叱ってくれる先輩がいたことに感謝しています。
そこで,叱る教師が少なくなった理由を考えてみました。
①叱るためには,エネルギーが必要だから
②叱ることは,めんどくさいから
③叱るためには,自分がきちんとしておく必要があるから
④叱っても,相手に変容が見られないから
⑤叱った後に,職員間の関係がまずくなるかもしれないから
特に③について,野口芳宏先生は次のように書いていらっしゃいます。
「教師は,叱る立場に値する人間であれ」(『教師のための叱る作法』学陽書房)
そのとおりだと思います。
叱るためには,叱ることができる教師になるように日々研鑽を積んでおく必要があるのです。
また,野口先生は,こんなことも書かれています。(同書)
「叱って戴いて有難かった」「叱られて嬉しかった」というように受けとめられてこそ,「叱り方の成功」と申せましょう。「叱る」というのは,相手を攻撃し,辱め,苦しめることが目的ではなく,相手を立ち直らせ,喜ばれ,感謝されることこそが目的なのです。
この文を読んで,自分の未熟さを痛感しました。今まで,いろいろな教師を叱ってきましたが,感謝されたことや喜ばれたことはあまりなかったからです。
つまり,叱る私の研鑽が足りなかったということです。
教師の道は,なかなか険しいものです。