半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5749 変化する感性を楽しむ

毎朝,新聞のすべてのページに目を通しています。政治面,経済面,社会面,家庭欄,読者投稿欄など小さな記事も一応見ています。

そうすると,毎回必ず目が留まる記事が1つはあります。

その内容をノートに書きだしています。

さて,今日の読売新聞の「茶の湯を旅する」に紹介されていた千利休の話に目が留まりました。

こんな一文です。

 

○利休は茶の湯の教えを書物に残さず,語ることも少なかった。珍しく語ったとされるのが,「一期に一度の参会」という言葉だ。

○花入れにあえて花をいけずに,水だけ張って床の間に置き,客に花を想像させたという。足らない状況を肯定的に捉え,持てる物で精いっぱい心を込めてもてなす。

○利休は,自分に倣って同じ釜を用いた弟子を叱ったとされる。基本的な所作を身につけるのは大切だが,自分なりの気持ちを表現することも重要な心構えだ。

 

新聞を読んで,これらの文に目が留まる人と留まらない人もいます。人それぞれです。

しかし,私はこれらの文に目が留まりました。

若い時にこの文と出会っても,気にならなかったかもしれません。

年齢的なことやその時々の自分が置かれている状況や気持ちにもよると思います。

これを感性とするならば,感性とは変化するものだということになります。

私自身も若い時の感性と年齢を重ねた今の感性は違っています。

この変化する感性を楽しみ大切にするために,日々,様々なもの(小説,映画,音楽,講演,絵画など)に触れる機会をつくるようにしたいと思います。