半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5625 発問づくりに細やかさを!

市内のある中学校のHPに道徳研究授業の様子が報告されていました。

使った教材は「注文を間違える料理店」で,認知症を扱ったものです。

その報告の中に,こんな発問がありました。

 

認知症だから注文をまちがえることをみんなが許しているのか」

「もっと他の理由から注文をまちがえることを許しているのか」

 

この発問に違和感を覚えました。

理由は,「許す」という言葉を使っているからです。

許す」とは,あやまちや失敗を責めないでおく。とがめないことにする。という意味があります。

 

認知症の方が注文と違った料理を提供したことは,「あやまち」や「失敗」ではありません。

実際にその料理店に行った人たちも,許しているから笑っている訳ではないはずです。

発問づくりには,細やかさが必要です。

ですから,私は道徳授業で発問をつくる時は,

何回も考えます。

何個もつくります。

言葉を選びます。

言葉を削ります。

語尾まで深く考えます。

報告によると,市内25名の先生たちが参観していたそうですが,このような指摘はなかったのでしょうか。

自分で道徳授業をつくる時は,細部まで考えることが重要なのです。