半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

5598 体温が感じられる授業

36年の教師人生を振り返り、授業というものは、教師と生徒とのやり取りで作るものだと再認識しています。
生徒に問いを投げかける。
生徒の言葉を受け取る。
生徒の言葉を集め、まとめる。
生徒をほめる。しかる。励ます。
生徒のつぶやきに耳をすます。
生徒の表情を読みとる。
教室中で笑いがおきる。
教室中が静まりかえる。
つまり、授業と言うものは体温を感じるものだということです。
久しぶりに生徒全員がそろった授業でどうしてタブレットを使うのでしょうか。画面ばかりを見つめる授業ではなく仲間の顔を見ながら心を合わせる授業をしたほうがいいのです。
おとなしくて、なかなか発表ができない生徒のためにタブレットを使って参加させるよりも、発表ができる空気を生徒と一緒につくるほうがいのです。
自分の声で意見を言う時は、相手や仲間の気持ちも考え、言葉を選びます。スピードや間の取り方も考えます。仲間のことを思いやるのです。
タブレットは、単なる道具にすぎません。コンパスや定規と同じです。使わないと困るから使うのです。
今の学校は、はじめからタブレットを使うような空気があります。
利便性や効率ばかりを優先させる授業ばかりしていては、人を育てるという大切なことが次第に忘れられていくのです。

教育基本法第一条「教育の目的」を再確認すべきです。
そういった理由で、今でも教師と生徒の体温が感じられる授業をしています。