半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

1516 いのちを見つめる日

8年前の平成16年の今日,本市の小学校で同級生を学校内で殺害するという大変痛ましい事件が起こりました。この事件をきっかけにして,子供たちにいのちの大切さをしっかりと教えていこうという取組が市内全小中学校で行われています。
本校でも,全校朝会を開き,校長先生が講話をしました。私も今日の空き時間を使い,来週発行する「学年通心」を書きました。以下がその内容です。

■いのちを見つめる日〜いのちはどうして大切なのか〜
 6月1日(金)は,いのちを見つめる日でした。全校朝会で校長先生が,いのちの大切さと自分自身の大切さについて,質問を交えながらゆっくりと語りかけるような講話をされました。
 今から8年前の6月1日に市内の小学校で教育活動中に6年生児童が同級生を殺害するという信じがたい事件が起きました。この日の夕方に,NHKや雑誌社から電話インタビューがあったのですが,驚きが大きかったため,ほんのわずかなコメントしかできませんでした。その夜,どうしてこんな事件が起こったのか,生徒にどんなことを語ればいいのか真剣に考え,ノートにまとめました。そして話した内容が以下のものです。
「いのちが大切だと思う人は手を挙げます。(全員が手を挙げました)いのちが大切だと思う先生は手を挙げてください。(全職員が手を挙げました)ここにいる子供も大人も全員がいのちは大切だと思っています。大切だと思っているものをどうして粗末にしたのでしょうか。いのちは大切だと思ってはいるけど,実は,当たり前すぎて理解できていないのではないでしょうか。ここで先生は,いのちとは何だろうかと,いろいろな本を読んで考えてみました。その結果,次の言葉が見つかりました。『いのちとは時間のことである』
 素晴らしい言葉だと思いました。いのちとは一人ひとりに与えられた時間なんです。その時間がいつ終わるか誰も知らないのです。ここで,もう少し考えてみました。いのちとは時間である。では時間とは何だろうと考えてみました。一生懸命に考えて出た答えが,『時間とは可能性である』というものです。『いのちとは時間である。時間とは可能性のことである つまりいのちとは可能性のことである』
生きていれば,何かをできるということです。この中に将来,医者になる人や海外で活躍する会社員になる人もいるかもしれません。今日の夕方,告白して付き合いが始まるかもしれません。もしかしたら,その人と結婚して家族をもつことになるかもしれません。今度の日曜日,家族でお寿司を食べに行くかもしれません。これらはすべて,生きているからできることなんです。これからいろんなことがあります,どうかみなさんの「いのち」つまり「可能性」を大切にして欲しいと思います。
 ご家庭では,誕生日などに生まれてきた時の様子や名前の由来などを子供に聞かせてください。子供は,自分が大切にされていることで,自分のいのちを大切にしようと考えるようになります。