去年の今日(2023年4月7日),Facebookにこんな記事を書いていました。
去年の今日(2023年4月7日),Facebookにこんな記事を書いていました。
私が所属している全国サークル「道徳のチカラ」の機関誌(デジタル版)が発刊されました。
このサークルは,「まるどう」「道徳教育改革集団」「道徳のチカラ」と名前を変えながら35年間も続いています。
同時に35年間,通算71号まで機関誌を発行してきました。
この機関誌から多くのことを学びました。連載や特集記事なども書かせていただきました。
書店には並びませんが,全国のいろいろな先生たちから学ぶことができる貴重な機関誌です。
今回から,紙媒体ではなくデジタル版としてリニューアルしました。
是非,購読申し込みをしてください。
リニューアル第1号には,私の記事も掲載されていますので,読んでいただけるとうれしいです。
※購読申込:QRコードをスクリーンショットし,グーグルレンズで読み込むことができます。
毎日,昔の週案(教師が授業や日々の出来事を記録しておくもの)をパラパラとめくっています。
昔の自分がどんなことを考え,どんな実践をしていたかを確認するためです。
平成29年度A中学校で第3学年の学年主任をした時の週案に貼付していたプリントに目が留まりました。
タレントの志村けんさんを扱った道徳授業「天才なんていない」を行った後に,保護者のMさんからもらった感想です。
(2017年10月10日)
昔は,昔はって言うのは良くないことと思っていましたが,娘に前には,やめたいと思っても簡単にはやめられなかったことを話しました。
娘がまだ保育園に通っていた時,さらに上の資格をとろうと目指し,大変でしたが,その時の先生が,登りつめたその頂上の景色は素敵なものですよ。頑張ってその景色をみましょう。と言われました。
そして,合格した時の喜びは今でも忘れることはできません。
合格するまでの過程はつらかったですが,その時に頑張ったからこそ今があると私は思っています。娘にも強く育ってほしいです。
私は,道徳授業で使う資料(プリント1枚)の下に保護者からの一言(5行程度)という枠を設けています。(きりとりせんをつけています)
さて,ここからは想像です。
①道徳授業「天才なんていない」を受けた生徒Mさんは,その授業で心に響くものがあった。
②授業で使った資料を母親に見せようと思った。
③母親は,その資料を読み,授業の様子を娘から聞いた。
④母親は,娘に自分の人生の一部を語った。
⑤それらを総合して,母親は,「保護者から一言」を書こうと思った。
⑥生徒Mさんが,私に「保護者からの一言」のプリントを渡した。
道徳授業は,学校でやって終わりではないのです。
上で想像したように,1つの道徳授業をきっかけにして,生き方について子どもと保護者の間に会話が生れるのです。
今,自分の子どもに人生を語る親がどれぐらいいるでしょうか。
道徳授業は,そのきっかけになることもあるのです。
小さい頃から,大型特殊車両が大好きです。
ブルドーザー,クレーン車,パワーショベル,ダンプカーなどです。
はじめて買ったミニカーもブルドーザーでした。
その嗜好は今でも継続していて,テレビやyoutubeなどでも大型特殊車両の動画を観ています。
さて,ミニカーと言えば「トミカ」ですが,最近はすごいトミカが発売されていましたので,すぐに購入しました。
購入したのは,コベルコの2つです。
No.130 コベルコ建機 超大型ビル解体専用機 SK3500D
No.133 コベルコ オールテレーンクレーン KMG5220
そのフォルムとギミックもすごいですが,これらが1個1000円以内で購入できることもトミカのすごさです。
書斎の本棚に置いて,毎日見ています。
小さい頃の夢が叶ったような喜びを味わっています。
トミカはすごい!日本のおもちゃはすごいです。
写真は,SK3500Dです。
高層ビルの解体作業で活躍しています。
最近,書斎にある本を適当に選びパラパラとページをめくることが日課になっています。
さて,今日の本は,「登山の哲学」(NHK出版新書 2013年)です。
著者は,エベレストをはじめ8000mを越える世界14座を日本人で初めて登頂した竹内洋岳さんです。
その中でなるほどと思った部分を紹介します。
〈引用始まり〉
私にとっての経験とは,積み重ねるものではなく,並べるものなのです。経験が増えれば増えるほど,数多くのディテールが知識となって記憶にインプットされます。そのディテールとディテールとの隙間を埋めていく作業が「想像」です。だから,経験の積み木のすべてが見渡せるように,テーブルの上に広げておく。そして,並べてある位置を移動させたり,順番を入れ替えたりしながら,隙間を埋め尽くすほど想像を膨らませていくわけです。
〈引用終わり〉
一般的に,経験は積み重ねるものだと思われがちです。
私には,経験を並べるという発想はありませんでした。
確かに積み重ねた経験を一望することは難しいものです。下層にある経験は自分では見えなくなってしまいます。
しかし,経験を並べておくですべての経験が一望できますし,経験の隙間を埋めたり,個々の経験をリンクさせたりすることもできます。
この考えに基づけば,37年間の教師経験をさらに生かすことができると思いました。
「経験を縦に積み重ねるのではなく,横に並べてみる。」
いよいよ4月です。
カレンダーをめくる時に,ちょっぴりワクワクします。
そう,新しいことが始まる季節なのです。
頭の中でエレファントカシマシの「四月の風」が流れています。
さて,知り合いのG先生が60歳で退職(定年まで1年を残して)し,ブエノスアイレス日本人学校へ勤務することになったそうです。
私とほぼ同じ年齢で,新しいことに挑戦するG先生は,素敵すぎます。
意気に感じます。
自分の人生です。やりたいことをやるという気持ちを忘れずにいたいです。
まさに,「人生二度なし」です。
今日の読売新聞に熊本大学准教授の苫野一徳さんの記事が掲載されていました。
苫野さんの発言は気になっていたので2冊の本ほど読んできました。
この記事の中で苫野さんは,こんなことを言っています。
〈引用はじまり〉
北欧や西欧などの多くの学校では,一斉授業ではなく,それぞれの子どもに応じた個別の学びができる仕組みが主流になっています。
「学びの個別化」といっても,別々に孤立して学習するということではありません。「緩やかな協同」に支えられていることが大切で,そこにこそ,学校の存在意義があり,公教育の構造転換が必要だと考えます。
〈引用終わり〉
現在の学校で発生している問題を改善するためには,大鉈をふるう必要があります。
極論ですが,1872年の学制以来続いてきたシステムを壊す必要があるのです。
例えるならば,現在の教育システムは長年,走っている故障車を走りなが修理している状況だと思います。
これでは,本当の修理はできません。一度,車を停車させてすべてを修理する必要があるのです。
そういった意味では,苫野先生の言葉は入ってきます。
しかし,教育現場の現状を見ると,この言葉は入ってきません。
理想と現実の隔たりを埋める具体的な実践が全国の学校に広がっていくことが必要なのです。
そのためには,学校のコンビニ化(学校で何でもやってくれ)を一日も早くやめるべきだとも思います。学校でやるべきとやらないこと,できることできないことを明確にしていくことです。
苫野さんは,こんなことも言っています。
〈引用はじまり〉
教育とは全ての子どもが自由に生きる力,互いの自由を認めあう感度を育むためにあると考えます。
〈引用終わり〉
37年間,教師を続けて来た私は,この言葉がまぶしすぎて直視することができないでいます。
先週の送別会で中堅のM先生と道徳授業について話ました。
M先生が初任の頃に道徳授業を公開して,その授業を私が参観したという話でした。
この教材は,モラルジレンマでよく使用されるものです。
さて,M先生は授業後の協議での私の発言をよく覚えていました。
発言内容は,こんな内容でした。
「この授業で教えたい内容は,生命尊重ですが,生徒に命の大切さを教える時にディベートをすることに抵抗があります。ディベートは討論ゲームですから,生命尊重を教える時にはふさわしくないと思います。」
私も若かった?ので,結構,厳しい発言をしていた頃です。
しかし,M先生が私の発言を覚えていてくれたことがうれしかったです。
もし,あの時,社交辞令的な発言をして終わっていたらM先生の記憶に残ることはなかったはずです。
今は,厳しい発言はあまりしませんが(できませんが),正しく批判することは大切だと思っています。
「日本衆愚社会」(呉智英 小学館新書)を再読していると,こんな文に目が留まりました。p186
〈引用はじまり〉
政治についていの壮麗で美しい言葉が『論語』の中になる。為政篇の冒頭にある一章だ。
子曰(のたまわ)く,政を為すに徳をもってすれば,たとえば北辰の其の所に居て,衆星のこれに共にむかうがごとし。
(孔子)先生がおっしゃる。政治をするのに徳によってするのであれば,たとえてみると,北極星が天空の中心にあって諸々の星がそれを囲みその方向を向いているようにうまくいくのだ。
〈引用終わり〉
さて,これを読んだ時に,学級経営と重なると思いました。
政治を学級経営に置き換えて考えたのです。
つまり,徳のあるこそ教師が,素晴らしい学級経営をすることができるということです。
この考えは,間違ってはいないと思います。
忘れ物をする,時間を守らない,生徒との約束はすっぽかす,だらしない教師がいくらがんばっても,学級はよくならないからです。
しかし,徳だけでもダメです。
学級経営には,教師の哲学と指導技術が必要なのです。
どんな学級,どんな生徒に育てたいのかを具体像として明確にします。
それに加えて,様々な指導技術を使って,学級を作っていくのです。
この話の最後に,呉さんは,こんなことを書いていました。
〈引用はじまり〉
プロ教師の会では,教師と生徒(児童も)の間には,教育ー被教育,指導ー被指導という身分関係が必要だと主張する。細かい異論はともかく,大筋ではその通りである。というより,あらゆる集団,あらゆる社会で,その通りなのである。
〈引用終わり〉
来週から,新年度が始まります。
新規採用の先生たちは,希望と熱意にあふれていると思います。
しかし,生徒のために一生懸命に頑張るだけでは,学級づくりはうまくいかないということを肝に銘じておく必要があるのです。