半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3613 これが現実

今日は,3時間目が初任研,4時間目が教育実習生への講話でした。
初任研では,授業研究の進め方について話しました。
主な内容は,代案なき批判はしてはいけないということです。
研究授業後に行う授業研究では,いろいろな意見が出ますが,なかなか的を射ない発言も多いです。しかも,授業についていろいろな指摘をするのですが,自分ならこうするという代案が示されないことが多いのです。
あらかじめ指導案でどの単元をするかわかっているのですから,自分がどんな授業を実践しているのか分かっているはずです。
そうであれば,授業研究では,参加した教師が一人ずつ自分の実践を紹介していけばいいのです。
そうすれば,授業者だけでなく参加した全員が学びを得ることができます。
こんなことを話しました。

次に教育実習生への講話ですが,まず最初に次の質問をしました。
「中学校3年間でどんなどんな道徳授業を覚えていますか」
実習生の答えは,
「覚えていません」
「35時間の3年間で合計105時間の道徳授業を受けたはずです。1つぐらいは覚えているでしょう」
「やっぱり覚えていません」
「席替えなどに変えられたことはあったかもしれません」


これが,道徳授業の現実なのです。

実習生ですから卒業してまだそんなに年数は経っていません。
7年程度でしょうか。
道徳授業の大切さが声高に言われていた頃でさえ,実際にやっていなかったのです。

これが現場の実態です。
道徳の時間をできれば違うことに使いたいという教師は少なくありません。
行事の準備や話し合い活動,集会や講演会など道徳でカウントしているのです。
これでは,生徒はより良い生き方について深く考えることは難しいでしょう。
というよりも,より良い生き方について学ぶチャンスを与えられていないのです。
教育の機会均等にも関わる重要なことだと思うのです。

こういったことで道徳科になったのです。
残念ながら教師自身が自分で自分の首を絞めたのです。
自由に授業をやれる道徳授業を自分勝手に流用してきたつけがまわってきたのだと思っています。
道徳授業に関して言えば,自由にしすぎて不自由になったということです。