半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3208 生徒理解

現場では,生徒理解という言葉をよく聞きます。
まずは生徒理解をしようとか,「いじめ」を防ぐためにはひとり一人の生徒理解に努めましょうとか,生徒理解の日というものまであります。
根本から考えてみましょう。
そもそも,本当に生徒を理解できるのでしょうか。
置き換えて考えてみました。
来年で結婚生活が30年になります。
30年も一緒に生活していれば,妻のことをしっかりと理解できているはずです。
しかし,本当のところは理解できていないと思います。
つまり,「妻理解」は難しいことだと言わざるを得ません。
翻って,学校だけで一緒に生活している生徒のことを理解できるのでしょうか。
「妻理解」は,30年一緒に暮らしていても難しいのですから,たかだか1年や3年で生徒理解することは難しいと思います。
ですから,生徒理解ではなく,「生徒一部理解」をすべきなのです。
「生徒一部理解」をするために必要なことは,生徒を見るしかありません。
「見る」「観る」「視る」などいろいろな見方をするしかないのです。
見る場面を意図的に増やすことだと思っています。
職員室にいても,生徒一部理解はできないのです。
アンケート調査の結果も生徒理解の材料のⅠつですが,単なる材料の1つに過ぎないのです。
根本的に,生徒理解が難しいと理解しているからこそ,理解しようと毎日,意図的に見ているのです。声をかけているのです。意図的にフォローしているのです。

今日は,授業開始の日でした。
40日間の空白がある生徒が多かったので,
7時30分から校門であいさつ運動を行い,1時間目の全校集会の時に,3年生ひとり一人の様子を横のほうからゆっくりとじっくりと観察していました。
表情,服装,髪型,眉などです。
また,昼休みや掃除時間などできるだけ声をかけました。
もちろん,授業中も,筆箱の中身や制服の汚れやアイロンがかかっているか,爪が伸びていないかなど観察しました。
こういった日々の積み重ねで,「生徒一部理解」ができるようになると考えているからです。

生徒理解は困難だからこそ,一部だけでも理解しようと懸命に努力すべきなのです。