半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2459 月刊コピー誌「新事情」発刊30周年記念

大学を卒業しましたが,自分が希望していた仕事に就けず,結局実家に戻り家業を手伝っていた頃の話です。
このまま自分の人生が決まってしまうのだろうかという不安と苛立ちを感じていました。
毎日,肉体労働でヘトヘトになりながら,何とかしたいという熱い思いだけがありました。
そんな時に,高校時代からの仲間と一緒に「月刊コピー誌 新事情」という同人誌みたいなものを発行していました。
内容は,読んだ本のこと映画のこと音楽のこと世の中のことなど,何でもありでした。
当時は,パソコンもなくワープロがありましたが高額で手が出せないという状況でした。
そこで,しかたなく手書き原稿をコピーして希望者に送っていました。
読者は,おそらく10人程度だったと記憶しています。
約2年間発行し,結局24号ぐらいまでで終わってしまったと思います。
今読み返してい見ると,とても恥ずかしい内容です。
しかし,恥ずかしさを抑えて,20代の私がどんなことを考えどんな文章を書いていたのかをこのブログに残しておくことにしました。
創刊号の発行は1985年6月9日,ちょうど30年前のことです。
今年は,発刊30周年記念ということになります。

折に触れて,若い頃の私の駄文を紹介していきたいと思います。
中には,噴飯ものもありますので,そこは若気の至りと言うことで勘弁してください。


「月刊コピー誌 新事情 創刊号」より
■「今こそ何かやらなくてはならない時代なのだ!」
刑の執行猶予期間である大学生活を終えて,いよいよ刑が下されて社会へと出撃していった友達。その友達の一人が広島の建設会社に4月いっぱいで辞表を出した。その友達の辞める時の弁が先のことを考えるとふんぎりがつかなくなるかもしれないので,何も考えずに辞表を出した,というものであった。しかし,その後が私に言わせると少々寂しい。というのは,バイトをしながら公務員の勉強をするつもりだとということだったからだ。ここで私は決して公務員がつまらないというわけではないのでそのつもりでいてほしい。このようなことを大人ぶっている大人(大人と言うだけでいばって,ふんぞりかえっている大人たち)に言えば,開口一番!根性なし努力が足りん,情けない,ここで続かないヤツが他のところで続くはずがないと言うであろう。確かに,おしんみたいに辛抱して一所に一生腰を据えて遮二無二頑張るのも偉いという気がする。しかし,この友達はもっと偉いと思うのである。なまぬるい状況から自分を脱させ,自分の思うことをやろうとしたことに,私は拍手を送りたいのだ。
高校を卒業し,大学に入り,そんなことだけで自分はとても成長し人間的にも大きくなったと豪語したくなるほど,自尊心ばかりが心に中でふくれあがり,ちょっとした言葉や相手の態度でこの自尊心は破壊されてしまうのである。そんな人間たちは,何となく会社に入り,何となく結婚して,何となく死んでいくのであろう。だから今なのである。何かを始めるべきなのである。怒り,悩み,悲しみ,笑いを語ってみよう。お互いに,そんなことから何かが始まると,私は信じている。

※当時,大好きだった椎名誠さんの影響がタイトルに出ていますねえ。