2004年6月7日に書いた記事より引用します。
89 学校現場で,何ができるのか(6/7)
本市で起こった悲しい事件から1週間過ぎようとしている。新聞をはじめ多くのマスコミは,事件の原因を様々な角度から書いている。県教委は,臨時の校長研修会や講演会などを開き,学校現場で命の尊さを教えることに力点をおくような方向性を出したようだ。
本校では,事件の次の日に臨時の全校集会を開き学校長より命の大切さをについての講話があった。
その後,1年生だけを残し学年集会を行い私が話をした。その中で次のような質問をした。
●命は大切だと思う人は手を挙げてください。
○全員手を挙げた。
●殺人(人を殺すこと)は悪いことだと思う人は手を挙げて下さい。
○全員が手を挙げた。
生徒は命は大切だとか殺人は悪いことだと知っているのである。分かっているのである。
当たり前だと分かっているから,いくら話をしても生徒の心にしみわたっていかないのであろう。
道徳授業をはじめ多くの授業や指導は「言葉を媒介とする」ものであるから,言葉として伝えるためには
限界があることをしっかりと認識しておく必要がある。相手に言葉を受け入れる準備や余裕や姿勢がな
いと伝わってはいかないのではないかと思う。つまり,分かりきっていることをくどくどと言われても生徒の
心にはしみていかないのである。
では,学校現場ではどうすればいいのだろうか。生徒に伝わる内容・言葉を話すことである。
1つの方法として,生徒と一番近い他人である教師が,自らの体験を元に命の尊さと死の現実を実感と本音で話すことではないだろうかと思う。私は今までに,子どもが生まれた時の様子,子どもが病気になった時の
看病のこと,子どもが入院し手術をした時の様子,母の死を看取った様子など,実体験をその都度,語ってきた。その話の内容を学級通信で流したこともある。
特に,これからは「死」に関しても何らかの形で教えていかなくてはいけないのではないかと思う。
1950年では,89%の人が自宅で死去していたが,1990年では,75%の人が病院で死去している。
つまり,死を身近なものとしてとらえる機会が減り,死に対するイメージが希薄化してきているからである。
(参考 『高校生と学ぶ「死」の授業』 熊田亘 清水書院 )
人が死ねばだれが悲しむのか,だれが不幸になるのかなども,この「死」を教えることに含まれるのではないかと思う。
いずれにせよ,今回のような事件が二度と行いようにするためには,全国の教師が本気で取り組むことである。各学校,どのような取り組みや授業・実践をしたかを1冊の本にするぐらいの気概が欲しいと思う。