半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3450 「子供のために」という考えを疑おう

1979年,NHKで「男たちの旅路」(山田太一作)の「車輪の一歩」という素晴らしいドラマがありました。
当時としては珍しい障がい者を扱ったものでした。
車いすの少女(斎藤とも子)が外に出ることを恐れて,(母親が監視しているため)いつも家の中にいました。
その理由は,自分たち車いす障がい者が外に出ると他の人に迷惑をかけてしまうからというものでした。
彼らと出会ったガードマンの主任(鶴田浩二)がこう語ります。

「『人に迷惑をかけるな』という社会が一番疑わないルールが君たちを縛っている。君たちは、普通の人が守っているルールは、自分たちも守るというかもしれない。しかし、私はそうじゃないと思う。君たちが、街へ出て、電車に乗ったり、階段を上がったり、映画館へ入ったり、そんなことを自由に出来ないルールはおかしいんだ。いちいち後ろめたい気持ちになったりするのはおかしい。私はむしろ堂々と、胸を張って、迷惑をかける決心をすべきだと思った」

そして,ラスト車いすの少女は,駅の階段下で「誰か私を上にあげてください。上に行きたいんです」と声を上げます。最初は小さな声でしたが次第に大きくなっていきました。

さて,同じようなことが教育界でもあるように思います。
それは,「子供ため」「生徒のため」という美辞が我々教師を縛っているのではないかということです。


「子供のために」夜遅くまで学校に残り仕事をする。
「子供のために」休みの日も部活動に参加する。

ゴールデンウイーク中も,1日も休まず部活動に参加した教師も多かったと思います。

教師は「子供のために」すべてを捧げるべきなのでしょうか。
自分の家庭,自分の時間,自分の趣味,自分の休養,ひいては自分の人生。
これらすべてを「子供のために」捧げるべきなのでしょうか。

夜遅くまで学校に残り仕事をしない教師は,「子供のために」がんばっていないダメ教師なのでしょうか。
土日に部活動に参加しない教師は,「子供のために」がんばっていないダメ教師なのでしょうか。

世間もそうですが,我々教師自身も「子供のために」すべてを捧げるという意識を変える時期にきているのではないかと思うのです。

「子供のために」しっかりと休み,心身ともにリフレッシュさせる。
「子供のために」休み中,教材研究をする。
「子供のために」休み中,セミナーやサークルや学習会に参加する。
「子供のために」読書をする。
「子供のために」学級をよくする方法を考える。
「子供のために」じっくりと学級通信を作成する。
「子供のために」道徳授業の発問を考える。

こういった考えにシフトチェンジすることができないのでしょうか。
こんなことを考えたゴールデンウィークの最終日でした。