半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3360 通信とは何だろう

今の学校に勤務してからずっと学年通信を発行してきました。
週に1号発行ペースですから,6年10ヶ月の間発行してきたことになります。
1年で約42号ですから,通算で約280号は発行した計算になります。
学年の保護者全員と購読希望を申し出た職員へ毎週配布しています。
また,学年の保護者ではないけれども,通信を読みたいと言ってくださる保護者へも配布しています。

この通信を書くにあたり,以下のことに留意してきました。
①A4サイズで1枚におさめる。
②できるかぎり写真を掲載しない。
③単なる行事連絡板にしない。
④できるかぎり読みやすくする。(長文にしないで単文にする)
⑤教育観や教育哲学が伝わるようにする。
⑥生徒や保護者を感化する努力をする
⑦できるだけ語尾を「〜思います」とか「気がします」とか「でしょう」にしない。
⑧保護者どうしが通信ネタでつながるきっかけにする。

通信について,野口芳宏先生は「学級づくりで鍛える」(明治図書)の中で,このように書かれています。
〈引用始まり〉
・学年だより…無味乾燥な事務連絡だけに終わらないようにしたい。
事務的な連絡だけではやはりおもしろみがない。用事がすめば捨てられてしまう。連絡だけを書いたものならそれさえわかれば後は必要ないからだ。
・学級通信…自由に発行できないような学校体制には問題がある。
学級通信は,学級担任が編集長であり,発行者である。自分の思うままの裁量が可能である。子供の作品も載せるし,教師の人生観や教育観を語ることもできる。授業の記録を載せるのもよいし,教室の中の小事件やエピソード,子供の活躍の記録を掲載してもよい。いずれにせよ,堅く,狭く考えるのではなく,柔軟に,楽しく,おもしろく編集することがよい。
〈引用終わり〉


書きたいことが書けないようであれば,通信を発行する意味がありません。
生徒の個性を大切にしようとするのであれば,教師の個性も大切にすべきです。

こんなことを考えた1日でした。