半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3028 驚きと喜び

ちょっと古い話で申し訳ありません。
2013年8月4日長崎大学で「日本の進路を考える 平和責任 ―被害、加害責任、そして記憶の文化―」というシンポジウムが開催されました。
このシンポには,新聞記者,中国での日本人学校教師,長崎平和推進協会関係者などが参加しました。
私も参加者の中の一人で,道徳授業で「平和」をどう扱うかについて実践発表をしました。
また,このシンポはスカイプで中国や台湾にもライブでつながっていましたので,緊張もなかなかのものでした。
さて,このシンポの発起人である上薗恒太郎教授が書いた論文「平和の定義― 平和責任:被害、加害責任、そして記憶の文化―」 に私のことが書いてありました。
驚くべきことに,「平和」についての定義について私が実践した道徳授業が影響を与えたということです。
こんな内容です。

〈引用始まり〉
本シンポジウムにおいて、平和に積極的な定義を与えたのは、子どもたちの声であった。
山中太が紹介した子どもたちは、平和が「助け合えること」だと主旨を述べた。原爆をな
くそうとの学校の標語のむなしさを中学生は見抜いている。パワーバランスで決まる影で
しかない平和に希望を託すむなしさを超えて「他者と助け合えること」は個人で創る希望
が持てる。「他者と助け合える自分」は自身の誇りであり、自己肯定感となる。自分にとっ
て誇りとなる平和に子どもたちが到達することが教育であっていい。
〈引用終わり〉

道徳授業での生徒の感想が,このような大きなシンポジウムの助けになったことを素直に喜びたいです。

その時の記事が以下です。
http://d.hatena.ne.jp/futokun713/20130804/1375617725

論文は,以下です。
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/34463/1/kyoikukagaku78_19.pdf#search='%E6%84%9B%E5%AE%95%E4%B8%AD+%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%A4%AA'