半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2382 薄れる「公」の意識

今日は,前期終業式でした。
午前中は通常の授業が4時間あり,午後からは終業式と通知表を渡すための学活がありました。
終業式という儀式には違いないのですが,儀式的な雰囲気をあまり感じませんでした。
3学期制では,大掃除をした後で終業式を行い,その後,通知表を渡し,下校という流れが多かったです。
そして,1学期の後は夏休み,2学期の後は冬休み,3学期の後は春休みという長期休業に入るのです。
こういった流れで行う終業式という儀式には,まだ,「公」の意識が強く残っていたと思います。
長い休みに入る前の大きな節目だからでしょうか。
教師も生徒も「公」を感じていたと思います。
しかし,2学期制での終業式は,あまり大きな節目という感じはなく,「公」の意識が感じられなくなったと思います。
普通の全校集会とあまり変わらないのです。
ですから,ジャージや半パンで参加する教師や後ろでおしゃべりをしている教師などが出現するのです。

これに加えて,通知表が手書きからパソコン入力になり,テスト連絡表と同じような単なる文書になってしまったように感じます。
受け取る保護者のほうも通知表を重々しくとらえなくなったのではないでしょうか。
これも「公」の意識が薄れた原因となっていると考えています。

「公」の意識が薄れた結果が,毎年のように起こる「荒れる成人式」だと思います。
「公」の意識は,服装,言葉,礼儀作法に現れるのです。


あまりにも自分中心の「私」が優先してしまい,「公」がないがしろにされているのです。
ですから,小中学校の様々な儀式を通して,しっかりと「公」を意識させる指導を行うことが必要なのです。

3連休が終わると後期始業式があります。

これまた,儀式的な雰囲気が作れるのかはなはだ疑問です。

生徒に「公」の意識をもつことの大切さと「私」の意識を抑えることの大切さを教えていくべきだと思います。