半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2175 善知識

今,通夜から戻ってきました。
その通夜では,浄土真宗のお坊さんがお経を読まれました。
最後に,親鸞聖人の教えについて語られました。
そこの中に,「善知識」という言葉が出てきて,気になったので調べてみました。
広辞苑によれば,
「教えを説いて仏道へと導いてくれるよい友人・指導者。知識」とありました。
字面だけをとらえると,善知識とは偉いお坊さんのことかなと思えます。
しかし,そうではなく,自分を良い方向へと導いてくれる人・もの・現象などすべてが善知識だと思います。
「そんなことをしたら,亡くなった人が悲しむよ」という言葉もあります。
それは,我々が間違った方向へといかないように導いてくれているということだと思います。
つまり,亡くなった人もまた善知識ではないのでしょうか。
親鸞聖人が9歳の時に作った歌があります。

「明日ありと思う心のあだ桜,夜半に嵐の吹かぬものかは」
(明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない)
つまり,明日はどうなるか誰にも分からない,無常を意味していると思います。

仏教の奥深さを考えさせられたひと時でした。