半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2087 36冊目「ミニヤコンカ奇跡の生還」

●「ミニヤコンカ奇跡の生還」(松田宏也 ヤマケイ文庫)★★★★
1982年5月,ミニヤコンカ(7556m)に登頂目前にして,松田さんと菅原さんは,無念の下山を決意しました。
しかし,その下山途中で悪天候,食糧不足,ひどい凍傷,氷壁からの転落など多くのアクシデントに遭遇しました。
途中で,菅原さんともはぐれ,凍傷で足先や指が動かなくなってしまいましたが,全身を使いながら何とか下山しました。
その19日間の奇跡的な生還を追ったノンフィクションです。
今までにいろいろな冒険,登山,漂流ものを読んできましたが,これほどまでに凄まじい内容はありませんでした。
本当に奇跡としか言えません。
途中,松田さんは幾度となく生死の境をさまよいました。
幻視や幻聴にも襲われました。
救出後,松田さんは,両手の指と両足の膝から下を失うことになりました。
しかし,松田さんは,1995年にシシャパンマに遠征をしています。どうしてそこまで山にこだわるのでしょうか。そのことについて,松田さんは次のように書いています。

〈引用始まり〉
「僕は,菅原の分まで生きるために,生還したのだ。それに中谷さん(菅原さんの捜索途中で高山病のため死亡)の分まで加わった。(中略)僕の体はもう,僕自身のためのものではない。僕の人生はもう,僕一人のためにあるのではない。僕に,足ができた。帰国してから三ヶ月後,両足の切断口を再手術して,骨を削り,むき出しだった切断口を肉と皮膚で包み込んだ。それによって,義足が履けるようになった。僕は,歩いている。毎日二時間,リハビリテーションセンターの庭を散歩している。まだ,松葉杖をついて,そろり,そろりとゼンマイ仕掛けのオモチャの歩きかただけど,いまにまた山に登れる日が来る,と確信できる足になった。
僕は,また登る。」
〈引用終わり〉

植村直己さんは,冒険をすることで自分が生きていることを実感したいと言っていました。また,冒険とは生きて帰ることとも言っていました。

奇跡的に生きて帰った松田さんの代償はあまりも大きすぎました。

ミニヤコンカ奇跡の生還 (ヤマケイ文庫)

ミニヤコンカ奇跡の生還 (ヤマケイ文庫)