半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

1225 平和集会

8月9日は,長崎原爆祈念日です。毎年,この日に向けて学校全体で取り組んでいます。今年の平和集会の内容は,以下の通りです。

1 はじめの言葉
2 校長先生の話
3 「私の生い立ち」(M先生の講話)
4 平和学習の発表
5 平和記念式典の中継鑑賞
6 11:02の黙祷
7 A中平和宣言アピール発表
8 おわりの言葉

この中で,一番印象に残ったのは,M先生の講話でした。
父親が残していた手記にもとづいて自分の生い立ちについて語っていただきました。M先生は,北朝鮮生まれで,1歳5ヶ月で終戦を迎え,その後,ソ連軍の侵攻により日本へ逃げて帰って来られました。まだ1歳ですから,母親に負われて,警察官であった父親と共に想像を絶する悲惨な光景を目の当たりにしながら本土へ戻られたそうです。途中,M先生がマラリアに感染し,生死の境をさまよわれたそうです。苦しいため泣くのですが,その声がソ連軍に聞こえると居場所がわかってしまうため,父親がM先生を殺してしてしまおうというところまで追い込まれたそうです。ここまで,ギリギリの引き上げだったのです。赤子を連れて,20日間で240㎞の歩きやっとのことでソウルに到着しました。その後,引き揚げ船に乗船するまでに時間がかかり,結局,博多港に着くまでの4ヶ月かかったそうです。

この話をM先生は,写真や父親が残した手記や軍刀や肉声のテープなど貴重な資料を使いながらゆくっりと話してくださいました。
被爆者の数や被害など数字をあげてその悲惨さを伝えるよりも,一人の人間が,戦争でどのように生きたのかを知ることで,生徒の心に響くものが大きかったはずです。

今後,益々戦争体験者が減少していく中で,どのように語り継いでいくか大きな課題となっていくことでしょう。

M先生,本当にありがとうございました。