半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

3558 やっぱり「自由」がわかってない

長野市の小学校の自由研究が「自由」じゃない? Twitterで母「自由研究なんだから何でもいいじゃん..」
これは,今日のヤフーニュースのタイトルです。内容はこんな具合です。

〈引用はじまり〉

学校が児童に配布した資料=写真によると、自由研究の専用の用紙をガムテープでつなげ、すだれのような形にして発表内容をまとめていく。5枚の用紙をつなげて1列、6枚以上になる場合は、1列4枚にして1列目と2列目をひもでつなぐよう指示。「市内の小学校を巡回するときに利用するもの」として、てっぺんを薄い板で補強し、穴をあけてひもを通すよう求めている。
この指示内容に、母親はTwitterで次のようにつぶやいた。

「画用紙みたいな規定の用紙に決められた形式でまとめないとダメ。(中略)自由研究なんだから何でもいいじゃん‥」
〈引用終わり〉


この母親は,「自由」の本当の意味が何かわかっていないと思います。何でもやっていい,何でもありが「自由」だと思い込んでいるのです。
しかし,この母親が悪い訳ではありません。そのような考えを教えた学校が悪いと思います。
「自由」には責任が伴うのです。
自分が自由にやったことにより,他の人に何らかの迷惑をかけるのであれば,それは「自由」ではなく,ワガママです。
学校側は,内容の自由は認めていますが,提出形式は決めています。
多くの生徒が一斉に持ってくるのですから,提出形式は整えておいたほうが掲示する時に便利です。
それぐらいで,自由がないと言うのはどうかと思います。

学校では,「自由」という言葉が頻繁に使われています。
夏休みの計画に「自由」と書く生徒がたくさんいます。
課題は「自由提出」と言います。
修学旅行などの空き時間を「自由時間」と言います。

教える教師が「自由」の意味を知らずに頻繁に使っているのですから,子供や保護者も同じように使っているのです。

このニュースを機に,「自由」という意味をもう一度考えた方がいいと思います。
「自由」を獲得した西洋史をもう一度勉強したほうがいいと思います。

完全な自由な状態からは,工夫は生まれません。
制約があるから,人は工夫をするのです。
言い換えれば,不自由さが新たな発想を生み出すのです。
日本の軽自動車が優秀な理由は,エンジンの排気量や大きさや重さなど様々な制約があるからこそ,ここまで進化したのです。
「自由」=善
「不自由」=悪
という既成概念を崩すことも必要なのです。


ニュースソースはこちら
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00010001-huffpost-soci