●「議論を逃げるな」(宇佐美寛 さくら社)★★★
宇佐美先生は,サークルの全国合宿でお会いしたことがあります。
道徳実践レポート検討会の最後に,全体的な講評をしていただきました。
バッサリと斬られる爽快感がありました。
さて,この本も読後にちょっぴり爽快感を味わえます。
例えば,「アクティブラーニング」について,こんな風に書かれています。<引用はじまり>
アクティブラーニングと称してなされる活動は,多くの場合,このような教材から遊離した学習まがいである。それなのに,学習者も教師も,学習が活発であると錯覚しているのだから,たちが悪い。教材,授業の目標を明確に自覚した上で,それに適合し授業を助けるような活動をさせるべきなのである。ところが,この自覚を欠いているから,安易な思いつきの活動ばかりである。真剣な授業を妨げる活動である。<引用終わり>
アクティブラーニングが,能動的な学習を意味するのであれば,別に班を作る必要はありません。
班を取り入れることによって,活動主義に陥ってしまう可能性があります。
つまり,活動あって学習なしという状況になるのです。
道徳授業でも,「考え,議論する」ということに注目して,班活動を取り入れている授業を見る事が多くなりました。
例えば,こんな授業パターンです。
①立場が分かれるような発問をします。
②班を作らせて班内で意見を交流させ,班としての意見をまとめます。
③小さいホワイトボードに意見を書き,黒板に貼らせます。
④班の代表に発表させます。
⑤教師がコメントします。
このような活動をした結果,より良い意見や高いレベルの意見が出ればいいのですが,なかなかそんな意見は出ません。
班で考えた意見とは思えないようなものがほとんどです。
しかも,班活動の様子を見ると,傍観者が数名出ています。
見た目は活発に見えますが,内情は,個人での学習よりもレベルが低いものになってしまっているのです。
こんな授業がアクティブラーニングと言えるのでしょうか。
一人ひとりを鍛える授業を繰り返し行うことで,考える,書く,発表する力をつけさせます。
その後,班活動を取り入れたほうがいいと思うのです。
ハイカラな横文字を使うことで,流行りの授業をやっているかのように見える,見せかけの授業では,生徒の意欲は高めることができないのです。
授業の目的は,生徒に学力をつけさせることです。
この目的を達成できるのであれば,アクティブラーニングにこだわる必要はないのです。
教育の根本をしっかりと考えることの大切さを改めて感じた1冊です。
- 作者: 宇佐美寛
- 出版社/メーカー: さくら社
- 発売日: 2017/01/23
- メディア: 単行本
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