半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

2336 必要条件と十分条件

文藝春秋2014年10月号に佐世保市で起こった県立高校生による殺害事件について,ノンフィクション作家の柳田邦男さんが記事を書いていました。
その中で印象に残った部分を紹介します。


〈引用始まり〉
県独自の道徳教材を使うなど命の大切さを自覚させる教育に力を入れてきた。こうした学校での取り組みには,広く一般的な子どもたちに命のかけがえのなさと命を守る倫理観を養うという点では,それなりの意味があるにしても,本人でさせ自覚していない特異な「心の闇」を抱えた子に対しては,学校の努力だけでは限界があるのではなかろうか。
〈引用終わり〉

以前もこのブログで書きましたが,道徳を中心とする「命の教育」は,必要条件ですが十分条件ではないと思います。
一部のマスコミや教育関係者が学校を批判する発言をしていますが,それは,学校教育が何でもできるようなつまり,十分条件と捉えているからだと思います。
しかし,柳田さんが書いている通り,限界があるのです。
限界があるからこそ,学校以外の関係機関との連携が大切になってくるのだと思うのです。
また,学校自身が何でもできるような傲慢さが出てくると問題が大きくなってしまうかもしれません。
限界を知るということは,何もしないということではありません。
限界を知っているからこそ,他に頼ることをためらわないのです。
そんなことを考えさせた記事でした。