半径3mの教育論

中学教師の教育雑感記

1408 負担

年間の反省会では,必ずと言っていいほど「教師の負担が大きい」という言葉が出てきます。教師の負担って何だろうかと考えました。
例えば,今日の私がやったことを書いてみます。

1  勤務開始前の20分間,校門に立ち,毎朝あいさつ運動をした。
2  出題者として,各学級を巡回した。
3  保体のテスト監督をした。
4  分掌部会に参加した。
5  分掌部会の反省をパソコンに入力した。
6  2クラスのテスト採点を行った。
7  得点をパソコンに入力した。
8  授業参観のための道徳授業づくりを行った。
9  道徳の指導略案づくりに取りかかった。
10 生徒が下校した後の各学級を見て回った。

この中で,1と9と10は別にしなくてもいいことです。早い話が私への個人的な負担です。しなくてもいいことですが,負担とは思っていません。なぜならば,自分が好きでやっているからです。では,どういう時に,負担を感じるのでしょうか。おそらく,自分がしたくないことをやらされる時だと思います。
しかし,どんな仕事でもやりたくなくても,やらなければいけないことはあります。嫌々ながらやっても教育上の効果があるとは思えません。
確かに,一人の教師だけに大きな負担がかかることはよくないことです。
しかし,
負担になるからやめる。
負担になるからしない。
という短絡的な発想でいいのでしょうか。

ここで,自分の心の中で,スイッチを切り替えることが大切だと思います。つまり,確かにこの仕事は自分にとって負担になるだろうが,どうせやるなら何か1つでもいいから,生徒のためになるようにしようと考えるのです。こう考えると,精神的負担が少なくなります。
やらされているというとらえ方では,生徒のとってもマイナスになるのではないかと思います。負担に感じる仕事を生徒のためになるからと頑張ることも時には必要ではないかと思います。これも教師修行の一つだと考えています。